アントニン・レオポルト・ドボルザーク(1841-1904)
交響曲第8番 ト長調 作品88
ドボルザーク(チェコ語の発音はドボジャークに近い)は、後期ロマン派を代表するボヘミア(現在のチェコ中西部)出身の作曲家。実家は肉屋と宿屋であったが、父はツィターの名手で母はピアノを弾き、ドボルザークも幼少からヴァイオリンの才能を発揮した。両親の意に反してプラハのオルガン学校に進み、卒業後はオーケストラのヴィオラ奏者となる。
作曲家としては当初ワグネリアンであり、ワーグナーに倣ってライトモチーフの手法などを用いてオペラを書いたが成功しなかった。30歳でオーケストラ奏者を辞し、個人レッスンで生計を立てながら作曲活動に励むと、徐々に成功し始める。1877年には奨学金審査に提出した「モラヴィア二重唱曲集」が審査員を務めていたブラームスの目に留まり、ジムロック(出版社)への推薦を得た。ジムロックからの依頼で書いたピアノ連弾作品「スラヴ舞曲集」は大ヒットとなる。
交響曲第8番は、1889年の8月から11月にかけてボヘミアのヴィソカーにて作曲され、翌年、プラハで自身の指揮とプラハ国立歌劇場管弦楽団によって初演された。義兄がヴィソカーに建てたルネッサンス様式の別荘は現在、ドボルザーク記念館として一般に公開されている。(今回のフライヤーデザインの背景にも使用)
第1楽章 Allegro con brio ト長調 4/4拍子
序奏のないソナタ形式。調号はト長調であるが、第1主題冒頭でチェロによって提示されるのはト短調の悲歌。第2句でフルートが快活なト長調の旋律を奏でる。比較的長い経過部を経て、低弦のピチカートに乗って木管による第2主題がロ短調で奏される。
第2楽章 Adagio ハ短調 2/4拍子
不規則な3部形式の「ドゥムカ」の音楽。周辺諸国から虐げられ続けた歴史を持つボヘミアの人たちには容易くは言葉にできない内なる思いがある。その思いが込められたのが「ドゥムカ」なのだ。平和な時代、平和な国に生きる我々だが、音楽が伝えてくれる「ドゥムカ」の精神を思いの限り表現したい。第1部は寄せては返す波のように、急激に揺らぐ2小節フレーズの連続により構成される。第2部、第3部はそれぞれ木管、ヴァイオリンが奏でる優美な旋律と、細かく動く伴奏の構図で成り立つ。いずれも、優美な中に計り知れない激情を孕んでいることを忘れてはならない。最後は再び、寄せては返す波のように消えてゆく…
第3楽章 Allegretto grazioso – Molto vivace ト短調 3/8拍子
A-B-Aの3部形式。Aは2小節が最小単位のメランコリックなワルツ。ここでも急激な揺らぎが特徴的で、2楽章との統一感を形成している。中間部トリオの主題は自作のオペラ《頑固者たち》からの引用である。Aを再現した後、トリオのリズムを倍速にしたコーダに進み、さっと過ぎ去るように幕を閉じる。
第4楽章 Allegro ma non troppo ト長調 2/4拍子
主題と18の変奏からなる変奏曲形式であるが、全体はソナタ形式風とも言える。トランペットのファンファーレについで、チェロが第1楽章の第1主題第2句から導かれる主題を奏し、第1変奏では低弦にファゴットが加わる。ソナタ形式の第2主題に相当する第5変奏では、トルコマーチ風のリズムに乗って、日本の童謡《黄金虫》に似た旋律が奏される。もちろん他人の空似ではあるが、この他にも全曲を通して親しみやすい旋律が散りばめられていることが、この交響曲が高い人気を博している所以である。